ウェールズ・ツアー

Long Revolution in Wales and Japan conferenceに参加。無事帰国。

http://crewswansea.blogspot.jp/2012/10/long-revolutions-in-wales-and-japan.html

私の「トーク」(肩肘張らない、という感じのもの)は、昨年三月十一日以降の経験を、「モビリティ」をキーワードに話すものだった。

以下、部分的に原稿を抜粋。

詳細は、「帰国報告会」的なものをオーガナイズして話そうと思うのだが、現在の高揚してしまっている気持ちを忘れないうちに(いや数日すれば確実に忘れるので)、メモ的に書いておきたい(上記の原稿も、プロシーディングを作成して配布することになると思うので、もしご関心があれば、そのときにご一報下されば、もちろんお送りします)。

上記のペーパーは、同行のid: melanie-ji-woo氏、Nishi氏、Kondo氏のごく密度の濃い報告と比較すれば、穴があったら入りたいぐらいのものなのだけれど、それでも、共有すべき価値のあるコメントがフロアから即座に出て、これは書き記す価値がありそうに思う。

フロアから発言があったのは、スォンジー大学CREWの創設者M・ウィン・トマス教授と、日本にも来たことのある、ウィリアムズの伝記作者ダイ・スミス教授である。日本で言えば団塊世代ちょい上のお二人のコメントは、意訳的に翻訳すれば、自分たちが、ずっと「居心地悪さ」を抱えて生きてきた、という個人的かつ典型的な経験にかかわっている。

自分が生まれ落ちたコミュニティ(お二人ともロンザ渓谷のご出身)から、「上方に」 mobileな経験をしてきたことは、お二人にとって、実のところ、「居心地」の悪いものだった。

しかし、その、いわば「構造的」な居心地悪さを、ひとはavoidすることもあるし、avoidしないこともあるし、あるいはその中間もあるだろう(というか、基本的にはその中間なのだろう)。とはいえ、確実に言えそうなのは、この「居心地悪さの感情構造」が、生産的に作用する場合もあるし、ない場合もある、ということである。もっと言えば、居心地悪さの経験を、生産的に世代を越えて継承していく限りにおいて、いかなるものであれ、それは生産的なものとなりうる。

だから、ダイ・スミス氏(彼の言を誤読していないことを切に願うのだが)の言にあった、organic intellectualsという言葉が大事なのだ。

問題は、有機的知識人であってはならない、ということではない。

有機的、という言葉の意味と輪郭が結果として変わるように私たちはアクションを行うべきなのであって、その限りにおいて、有機的であることを忌避すべきではない(知識人という言葉を使うかどうかは、私はまだ答えがない)。

come homeできない、という(M・ウィン・トマス氏やダイ・スミス氏の言う)「居心地悪さ」の経験、(id:shintak氏が言うような)「挫折」の経験に、促される限りにおいて、私たちは有機的であることそのものを、結果として変化させうるような形でアクションを継続しうるのである。

(まだ追記する予定ですが、まずはここまで、18日のウルフ協会関連の打ち合わせがこれから。ちなみにウルフ協会大会の詳細はこちら。新企画のワーク・イン・プログレス報告もあります。http://www.vwoolfsociety.jp/conference/program2012.html