一時的にこちらで

 Twitterライフライン関連の重要情報が続々と流れているので、こちらを一時的に復活。

 かつてのJCOの事故の際、徹夜でテレビを見ていて(実家が茨城なので)、その後ひどく気がめいったことを思い出した。関西に住んでいると、あと、今の私の立場では、できるのはモラル・サポート、寄付、後は心配する、といった感じになる。こういうなかで、テレビで報道を見続けていると、もちろん、被災者の方々とは比べものにならないが、やはり疲れがたまってしまう。

 当時の経験をふまえると、こういうときは、ものを書く、ということが一番invigoratingなので、以下、完全に備忘録的に。

 ダイ・スミスとのやりとりは印象的で、"whole society"の「サヴァイヴと成長」という言葉に、ひどくencourageされた。日本語の社会という言葉の語感からは想像しにくいが、societyは、これは、顔の見える交わり、ということであり、かつ、「共同生活の体制」(@『キーワード辞典』)ということに違いない。

 この「交わり=体制」としてのsocietyを途絶えさせてはならず、そればかりか、成長させねばならない、ということになる。かつ、wholeという言葉がついていることに注意が必要だろうか。もちろんsocietyは見えにくいし、かつ、分断されてしまっている。だが、この見えにくさ、分断をこえて、whole societyを考える、ということが、私たちの役目なのだろう。

というのも、このwhole societyの考察は、二重視をともなう、と思われるためだ。(多分続く)