お知らせ

 合同合評会ご参加の方は、翌日もいかがでしょうか。

2012年度第3回
レイモンド・ウィリアムズ研究会


 下記の書籍をテキストといたします。

1. Raymond Williams, The Long Revolution (Parthian, 2011)
The Long Revolution
2. ---、Towards 2000 (Penguin, 1983)

Towards 2000 (Pelican S.)

Towards 2000 (Pelican S.)

日時:2012年9月1日(土)10:30-16:00

場所:関西学院大学大阪梅田キャンパス 1407講義室

(*場所については下記リンクをご参照下さい。
http://www.kwansei.ac.jp/kg_hub/access/

連絡先:大貫隆史 takashimura8 アットマーク gmail.com
(*アットマークは@に置きかえて下さい)

お知らせ

核エネルギー、文化、社会
合同合評会

主催 レイモンド・ウイリアムズ研究会
共催 原爆文学研究会
日時 2012年8月31日(金曜日) 13:00~17:30 場所 関西学院大学 大阪梅田キャンパス 1406講義室
阪急梅田駅より徒歩五分 (http://www.kwansei.ac.jp/kg_hub/access/)
総合司会:河野真太郎
13:00~13:10 開催にあたって(川端康雄)
13:10~13:20 参加者自己紹介
13:20~14:50 山本昭宏『核エネルギー言説の戦後史 1945-1960 「被爆の記憶」と「原子力の夢」』
(担当者:川口隆行、西亮太)
14:50~15:20 懇談(今後の合同企画について)
15:20~16:50 『レイモンド・ウィリアムズ研究』第3号「特集 原子力、社会、文化」
(担当者:柳瀬善治、野坂昭雄)
16:50~17:30 総合討論(司会:大貫隆史)
連絡先:大貫隆史 takashimura8 アットマーク gmail.com
(*アットマークは@に置きかえて下さい)

ウィリアムズの声(オンラインのもの)

発作的にまとめてみる。他にもあったら教えて頂けますと有り難いです。

"Art: Freedom as Duty, a lecture by Raymond Williams"
http://www.planetmagazine.org.uk/html/newsite/avdetails/raymondwilliams.html

"ICA talks, Raymond Williams and Anthony Barnett, in conversation"
http://sounds.bl.uk/Arts-literature-and-performance/ICA-talks/024M-C0095X0076XX-0100V0

(2012/8/17追記)
"Raymond Williams discusses his 1985 novel 'Loyalties' with Michael Ignatieff"
http://www.veoh.com/watch/v20797207hgSrMp8K?h1=Raymond+Williams+in+Conversation

"Keywords Project"
http://keywords.pitt.edu

レイモンド・ウィリアムズ研究会のお知らせ

1. テキスト M. Wynn Thomas, Internal Difference: Literature in 20th Century Wales (U of Wales P, 1992)

2. その他

日時:2012年4月22日(日)14:00-18:00
場所:関西学院大学丸の内キャンパステレビ会議室
建物に入るにあたって事前に登録が必要となります。参加ご希望の方は、本ブログのプロフィール欄にあるgmailアドレスにご連絡下さい。

『レイモンド・ウィリアムズ研究』第三号

 第三号です。討議部分からは名古屋大学の遠藤知宏さんの貴重な経験の「ざわめき」を聞き取ることができます。工学者の経験が文学研究者に語りかけるものは、きれいごとなしに、確実にあります。

 そして西氏の特別寄稿論文もエディターとしてイチオシです。詳しくは「西論文への応答」にゆずりますが、Fukushima Theoryを必然であるものであると同時に、another historyを読み込むべきものとしても読む氏の姿勢に共感を寄せずにはいられません。

 なお、ご希望の際は無料でお送りしますので、拙ブログのプロフィール部分にあるgmailアドレスにまで、ご連絡下さい。

 以下目次です。英語目次は、おもにウェールズ向け。


新聞は朝読まない

 「コモンカルチャーがわからなくなる症状」に対処するべく、朝新聞を読むのをやめた。

 思い返してみると、震災直後は、かなり熱心に読んでいた記憶がある。どこかの地点で、新聞を読むと、朝からとてもしんどい気分になるようになった。

 はてしてどの地点か?

http://business.nikkeibp.co.jp/article/life/20110908/222523/

 ヒントはこのコラムにありそうな気がする。

 まず、恐ろしいことに忘れがちなことだが、ここは有権者数が一億を越える国(http://www.soumu.go.jp/senkyo/senkyo_s/data/sangiin19/sangiin19_2_3.html)であることを思い出しておこう。
 とすると、全国紙と言われるメディアは、一億を越える人びとを念頭に置きつつ、一つの意見を正論として提示していることになる。

 端的に言ってみる。

 そりゃ、どう考えても無理のある話じゃないのかと。

 もしかしたら、人口数百万規模の県単位とかなら、どうにかなるのかもしれない。この県のこの地域の、こういう暮らし向きの人びとは、こういう意見、あの地域の人びとはこういう意見と、なんとかかんとか想像がつくのかもしれない。

 じゃぁ首都圏は? 無理だ。三千万を越える数の人びとが、どういった暮らしをしていて、どういった意見をもっているか、想像できない。10年ぐらい住んでいたが、アパートの隣の人がどんな人かすらよく知らなかった。近所のスーパーに買い物にいくときですら、全く知らない人びとばかりで、目を合わせることすらなかった。

 人口一億の国では? 本当に無理だ。震災と原発事故で明らかになったことのひとつは、人口一億の国に住んでいる人びとを「私たち」と呼ぶことが、どれだけむずかしいことか、ということではないだろうか? 私たちは私たちのことを驚くほどに知らなかったし知らないままである。

 この問題の解決のひとつの鍵はデヴォリューションにあるのだが、それは、とてもとても長い道のりになるだろう。ウェールズの人口が約300万人。この人口で、ひとつのネイションが形成されており(ないしは、形成されつつあり)、かつ、この人口の内部で、様々な意見の衝突がある。そして、ここに至るまでの道のりが、決して平坦ものではなかった。

 ともあれ確実に言えるのは、これから地域紙の存在感が増すだろう、ということだ。申し訳ないが、毎朝、全国紙を読むたびに、そこで想定されている「一億人」から自分がもれていることがわかってなお、全国紙を読み続ける人びとが、そんなにたくさんいるとは、私にはとうてい思えない。
 

新聞とコモンカルチャー

授業準備の関係で、ウィリアムズによるコモンカルチャー関連の記述を読んでいたのだが、夜分かった気になって、朝になって分からなくなる症状にここしばらく悩まされた。

ウィリアムズの論をものすごく乱暴にまとめるとこうなる。

文化は「価値と意味」を決定している。ただし、そうした「価値と意味が決定されるプロセス」を未完のものと考え、かつ、このプロセスに関与しているのが「特定の階級や集団」ではない、と考えるとき、コモン・カルチャーという考え方に徐々に近接してゆく。

例えば、大学を四年間で卒業してすぐ就職することに、ある「意味」があって「価値」がある、と考えられているから、企業は「新卒社員」を採用したがるし、学生も必死になる。

しかし、そうした行動の価値と意味が、変化しうるものであるとしたら? また、そうした変化のプロセスに関与しているのが、特定の人間集団ではないとしたら?

そこでの私たちは、コモン・カルチャーというアイデアに徐々に近づいていることになる。

ところが、朝新聞を読むとき。

そこにあるのは、私たちの暮らしにまつわる事柄の意味と価値が、あたかもあらかじめ決定されていて、そこに関与できない、と感じる記事ばかりである。別にこれは、誇張して言っているわけではないと思う。経済について、エネルギー政策について、地方分権について、私たちの未来について、その意味と価値を決めているのは、特定の人間集団ではない、と感じさせる記事は、一体どれぐらいあるというのか? 

こうなると、コモン・カルチャーにリアリティを感じなくなるのは当然のことだ。

朝に新聞読むのやめて、散歩すればいいのかな。ネットで情報チェックして、帰宅してから新聞読む手もあるし。